有休を取って金曜27日から出発することにしていた。
妻が東京から出発、茨城宅に寄って私をピックアップし、岩手へ向う。
2012年の全日本ロード選手権に出てきたので
4/27(金)
6:00 起床 朝から雨。固定で45分イージー、最後に60s x3本ほど足を回しておわり。ちなみに木曜は完休。物を準備するがやはりチェーンカッターが無い。行きしに買わねば。
11:30 妻着。トヨタレンタカーは車種指定が出来る。今回のマイカーはBb。
12:00 自転車を積んで出発。グリーンサイクルさいとでシマノ純正カッターを買って行く。結構高い。2700円ぐらいだったか。ホテルから電話があり、当日の朝食をおにぎりで用意してもらうようにした。あとステッカーは届いたと。
常磐道から東北道。結構な雨。JRAの車が多い、20台以上は見た。
途中二度ほど休憩しホテルに着。20時頃に着くと連絡していたが、18:00過ぎには着いた。先に夕食。バイキング。そう特別豪華ではないが。
22:00 寝る。
4/28(土)
05:30 起床。
06:00 着替えて試走に出る。妻は車で追走。昨日の雨で路面は濡れている箇所もある。というか、こちらは道の端にはまだまだ雪が残っている。
脚はまあ良い感じ。
コーナーを確認、平地で時折スプリントを入れつつ、登りへ。緩いが長い。分かっていたが。踏まずにインナーロー、21ぐらいでゆっくり行く。下って二周目行こうかと思ったが、この後アンダーを自走で見に行く予定だったので一周半手前で折り返し、ホテルへ。
07:30 朝食。
バイキング。ジュニアも見たかったのだが止む無し。ここのテラスから見える岩手山は見事だ。先にチェーン交換をし、少しキレイにしてからネームステッカー。車でその後近くのスーパーで買い出し。パン、オニギリ、バナナ、飲物、一通りは売っていた。
10:00頃ホテルに戻り、自走で出発。
ところがアンダースタート直後ぐらいで、コースに沿って観戦に行けないと止められる。遠回りするしかなく、通れる道も良く分からず30分ほど乗って諦めた。
ホテルまでゆっくり帰ったが結局一時間以上もダラダラ乗ってしまった。うう。
とりあえずアンダー見たかったので車で会場に向う。自転車はダメだが、車はokらしい。係の先導バイクが誘導してくれ飛ばして走る。これはバイクの人が走りたかっただけではと思うのだが。途中からは裏道に入り、会場駐車場に着。オニギリを食べつつ観戦。意外なレース展開となる。
16:00受付。
一つ不安であったジャージの件で止められる。連絡するの忘れていたことに昨日気付いていたんだが。少し待たされて、プレーンのジャージでokとなった。車連ジャージとか無いしね。ま、次回あれば気を付けます。
16:30説明会。ほぼ私には関係無い内容であったが提出書類だけ貰う。ホテルに帰って先にバイクにナンバープレート、タグを付けて車に乗せる。風呂入って夕食。ジャージにゼッケン。95番。
21:00過ぎ、寝る。
4/29(日)
04:40過ぎ起床。良く寝れた。パンを食べつつ準備。
05:15出発。
05:30着。良い天気だが、まだ少し肌寒い。コンタクトを入れる。ローラー準備したら車を移動するように言われ、反対側の駐車場に移動。
06:30 固定でローラー始める。残れる人たちはアップ無しだろうけど、私は今回みっちりupすることに決めていた。最近のレースからどうもアップが足らないんではないかと感じていたからだ。ライオンキングを初めから聞きつつ。負荷は2、3で30分ほど回しショートとのインターバルを数本。
07:20 出走サイン。
オイル塗って、レッグウォーマーどうするか迷ったが、ニーウォーマーにする。
トイレに行く。
07:45 まだ誰も並んでいなかったが一番前に並ぶ。そう決めていたのだ。一人並べば途端に並び出す。一列目は開けておいてと。選手紹介で昨年度10位内選手が並ぶ。
photo by SHIMANO Racing from OCNフォトフレンド
photo by SHIMANO Racing from OCNフォトフレンド
五分程前に新城、福島さんがやってくる。と仲西さんも。なんだか心無しかカッコ良くなっていたな。仲西さんも私に気付き「どっかで見たことある顔やな。出るんか。一周目でアタックせえよ、一周目で」
08:00 スタート。と言ってもローリングで半周は行く。見たまえ諸君、このメンツの中を私が走っていてもまるで違和感が無いじゃないか。あたかも後半勝負みたいな顔してるじゃないか、オレ。
下り切って道が広くなったところでリアルスタート。何人かがどうも行ったようだった。メンバーは分からないが。OK、分かっている。想定の範囲内だ。何処かのチームがコントロールして、思う存分スローペースになってくれたまえ。道が広くなったと言えども、両端はあまりキレイではないことろもある。何処かで誰かがガチャガチャした音がなり、何人かが道端で止まっている。アンカーが一人いたような。
一本目の登りへ。前は愛三が固めていた。思いの他ゆっくりではないか。こんな私でも多少は余裕がある。多少は。妻を見つけて手を振る。以後毎周回手を振る。
登りきり二週目へ。補給所過ぎて、愛三が一斉に左側に停止、トイレ休憩。これはリーダーチームというか先導チームが指揮を取るという暗黙の掟なのだろうか。しかし私はかなり前にいたので、すぐには一緒に止まれずそのまま行く。土井ちゃんは走りながらしている。他にも数人。これはどのようにしているのか(どちらから出しているのか)今だに分からない。見たいような見たくないような。私には無理な芸当だ。
穏やかに過ぎて行く。愛三は前を固めているが西谷さん、盛さんはいつも後ろにいた。まあそうだろう。他、終始後ろにいた組は西薗さん、新城、福島さん。
ただ去年の映像が刷り込まれているので、登り始めで急なペースアップがかかった時に遅れないよう登り初めは前にいるように心掛けた。最初から後ろでそのまま千切れて終わりじゃ悲しいからね。
三週目半ばぐらいからトイレに行きたくなってきた。この周から補給も始まり、次の周、補給所終わりでトイレに行こう、ペースもちょっと落ちるだろう、いや行かねばマズイ。それぐらい行きたくなり、もはやトイレ>自転車状態であった。
薄々、いや明確に気付いていた。運動をやめてから、私は若くして結構な頻尿ぶりを発揮していた。冬場は仕事中も1時間に一回以上トイレに行っているぐらいだ。ハルンケアは本当に効くんだろうか。
そしてレース中にもそれはやってきた。誰か他にも行くだろう。このスローぺースなのだから。作成通り前々を走り、4周目の補給所を過ぎてしばらく行き、人目が無い所で止まる。私は用を足す準備をし、ほどなく始める。ところが誰も止まらない。他にトイレに行きたいは人いなかった。
OK、分かっている。なるほど、私は愛三の選手でもなければ、優勝候補でもない。
尿検査でご存知の通り、小便はし始めるとすぐには止まらない。止めることなど不可能だ。コミッセールとマビックまで完全に行ってしまうのを見送りつつ、15秒後、スッキリしたのに顔面蒼白で焦りながらサドルに跨り、ギアをアウタートップに入れ踏み始めた。
するとどうだろうか、トップスピードに乗せようかとしたその時、視界左前方コース脇で誰かが用を足しているではないか。おお同志よ、君も頻尿か、分かる、分かるよ、痛いほど分かるよその気持ち。ボトルにはハルンケアが入ってるんだね。その頻尿の君は、anchorの吉田君ではないか。
「あの子が今中学生で一番強いすから」
元砂兄弟が教えてくれた、その吉田君は全く中学生らしからぬ逞しい肉体で、特に大腿が非常に発達している、これは相当走りそう、てか負ける。
大学4年でトライアスロンから徐々にホビーの自転車レースに出始めていた私は、リッツクリテで上から二つ目のカテゴリーC2で一緒になった彼を見た時、そう感じた。
そして事実、そのレースで22才の私は15才の彼に負けました。その後の高校、大学での活躍は言うまでもなく、あの日のリッツクリテが一瞬にして頭にフラッシュバックしたのだ。
OK、分かっている。目と目で通じ合う、頻尿の同志よ。君も集団に戻る必要がある、偶然にも通りかかった私もだ。共に戻ろうではないか。そして戻った暁には、集団内でスッキリした顔でもしようじゃないか。
少し踏むのを止め、彼を待つ。
私一人では集団に戻るだけで脚を使い果たしてしまい、その後の登りでいきなりサヨナラしそうだから、その逞しい脚をした彼につきいちで連れて行ってもらおう、そんな打算的考えでは決して無かった。いやきっとそうでは無かったはずだ。
ほど無く私の後ろに彼は付いた。OK、分かっている。
こんな時のために、11-23のスプロケを先月買い、人生で初めて付けてきたのだから。前は52-39だ。アウタートップをこの貧弱な脚で踏もうじゃないか。
そう言えば君、中学生の時リッツクリテ出てたよね、てかオレ達夫婦はこないだツアーオブカタール見に行ったんだよ、決して旅行のついでじゃなく、anchorの応援、むしろ吉田君の応援のためだけに行ったと言っても過言じゃないん・・・
心の中で話しかけていた最中、吉田君は私をチラ見し、おもむろに前に出てきた。OK、分かっている。言いたいことは分かっている。「遅過ぎ。」そう言いたいのだろう。
私よりだいぶゆっくりとした脚の回転で加速して行くその様、前は53かな。よろしい、その逞しい脚ならば十分に踏み倒せるだろう。その加速の様、別に焦ってはいない。想定の範囲内だ。
私とは別次元のスピード域で存分に引っ張ってくれた後、彼は右肘で合図を出す。OK、分かっている。次は俺の番だ。再び踏み出す私。でさぁ、さっきの続きだけどさぁ、ツアーオブカタールでね、オレはもう、はしゃいじゃって日の丸持って・・・。彼は後ろで10秒ほど休んだ後、一気に加速し、コミセールを手始めに車に付いてはパス、付いてはパスをし、集団に戻っていく。
OK、分かっている。グランツールの中継で見たことあるよ、この追いついて行く方法。やってみたかったんだよ。決して置いてけぼりをくらい焦ってはいない。想定の範囲内だ。
集団に戻る。
もう四周目だ。当初持って3周を想定していたが、どうしたもんだか。ここからはいつ登りでペースアップが図られるか分かったもんじゃ無い。集団中にいても登り始めのコーナーを曲がれば必ず前に上がった。
登り終わりまであと500mぐらいのあたりで、少し前方にいるピンクジャージ、そうポン大の雨宮君が誰かと笑顔で談笑している。止めろよ、悪い冗談は、少々オイタが過ぎると言うも
・・・二人で一気にアタックしていく彼。一気にチェックに入る集団。
青柳、土井ちゃん、えーっとそれに誰だ、緑マン新城、君さっきまで一番後ろにいたじゃないか。抜かされて行く私。ほらね言ったでしょ。ペースアップされたら着いて行けないって。ok、分かっている。想定の範囲内だ。ただ脚も心拍も限界だ。大丈夫。こんな時のために前にいたのだ。遅れながらも登り終わりで集団やや後方ぐらいの位置で補給エリアに入っていく。下りで休憩する。
しかしゼリーも食べ切ってしまい、少々エネルギー切れが心配になってきてしまった。当初は補給は万が一の保険として考えていたが、一応用意だけしてきて良かった。妻にサコッシュは渡してある。必要な時は前の周に言うことにしていた。五回目の登りに入る。そう、これで良い。平和なペースだ。
あぁ妻が同じ場所にいる。手を振る。見たまえ、去年は運動すらまともにしていなかった私が今や五周目だ。もう80km近い距離だね。
ふー。何とか六周目に入る。 言うの忘れたーー。次補給て言うの忘れたーー。
ok、分かっている。想定の範囲外だ。次の周で言うとして丸二周ドリンクのみか。大丈夫、CCDは腹減らないんだよ。腹減ってきたのは気のせいだ。六回目の登り。ペースはそんな変わっていないが、正直言うとちょっとキツくなってきている。大丈夫、ギリで付いては行ける。妻を探す、いない。もう少し上だったか。いない。トイレか。その可能性はある。
しかしこのタイミングで何故行くのだ。いや待て。奇跡的あうんの息で補給所にスタンバッているかも知れない。しかし右と左どちらだ。本当に補給が必要となるまで走っているとは思っていなかったので、細かく打ち合わせなどしていなかった。あの辺が補給所だかんね。それだけだ。とりあえずペースを落とそう。奇跡的にいたとしても見付けられずに通過してしまったら妻の努力が水の泡だ。まずは左側だ。
いた。マイワイフいた!言わずとも通ずる、これが夫婦だ。無所属で補給は妻が担当なんです。いいじゃないか、それもまた。
食べ物だけもらう、そう大きな声で伝えて十分にペースを落としてサコッシュを受け取る。周りも結構ペースが落ちていたので、難なく集団に戻る。ゼリーも半分ぐらい食べて、バーも半分食べる。余りのバーをポッケに入れようと思ったら落とす。あーマツキヨで買った、どっかのバーよ。そんな適当な補給食で君は本当に運動栄養学研究室にいたんだろうか。
ややテクニカルなコーナーを曲がった後の下り基調の平地でいやにペースが速い。さっきまでと随分違う。この速度で前を引っ張り続ける人がいるなんて、やっぱりプロは凄いな。愛三さんの誰かだろうか。そしてついに七回目の登り、登り始めから少し速い。正確に言うと20km前後だったのに、21kmでずっと登っている。たった1kmの違いで私は青色吐息。気が付けば集団最後方だ。集中集中、我慢だと言い聞かせるが遂に千切れる。ok、まだ行ける、下りで踏めば追いつける可能性はある。50mから100mぐらい開いたか。アタックの勢いで踏み直すんだ。
赤旗。
なるほど。ok、分かっている。お帰りはあちらです、まだまだサイクリングペースなのに千切れてしまったんだね、君は。赤旗を振る審判の貴方はそう言いたいわけだ。
観戦。六本木さんがパンクで遅れてラス1入る前に長沼さんが結構前に居て土井ちゃんが勝って飯野さんが4位に入った。リザルト。
21:30 茨城宅着。寝る。
4/30(月)
04:30 茨城宅発。高速がら空き。
06:00 東京着。 レンタカーを国分寺で返す。
完
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